大村宿から彼杵宿へ(その1)
長崎街道は江戸時代に多くの人やものが行き交った脇街道とよばれる道の一つです。
肥前国長崎(長崎県長崎市)~豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)まで道のり
57里(約228km)を歩き始めました。
歩行ルートについては、参考文献の地図と現地「道しるべ」を基本としています。
参考文献 : 「長崎街道③肥前長崎路と浜道・多良海道」
「長崎街道②肥前佐賀路」 図書出版のぶ工房
2014/10/29(水) 晴れ
ルート 大村宿・脇本陣~本経寺~胴塚跡~首塚跡~郡川の渡し~松原宿~才貴田
歩行軌跡(赤色線)と予定ルート(水色線)と道しるべマーク
Google Map で歩行軌跡を表示
より大きな地図で 2014-10-29 彼杵 を表示
追分石「是より左そのぎ道」銘 「長崎街道」道しるべがないと見落とします。
郡崩れ 胴塚跡 (桜馬場交差点付近)
キリシタンの弾圧でキリシタンの妖術で首と胴がつながって生きかえることを恐れたため、胴と首を約500mも離して埋めたといわれます。
首塚跡
胴塚跡の桜馬場から特別支援学校前この道しるべまでは、国道34号を歩く(約3.5km)
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