大村宿から彼杵宿へ(その1)

2024年12月24日

大村宿

長崎街道は江戸時代に多くの人やものが行き交った脇街道とよばれる道の一つです。

肥前国長崎(長崎県長崎市)~豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)まで道のり

57里(約228km)を歩き始めました。

歩行ルートについては、参考文献の地図と現地「道しるべ」を基本としています。

「oomura2.jpg」大村城下をダウンロード

「oomura3.jpg」松原宿をダウンロード

「sonogi.jpg」彼杵宿をダウンロード

参考文献 : 「長崎街道③肥前長崎路と浜道・多良海道」

「長崎街道②肥前佐賀路」 図書出版のぶ工房

2014/10/29(水) 晴れ

ルート   大村宿・脇本陣~本経寺~胴塚跡~首塚跡~郡川の渡し~松原宿~才貴田

~千綿中学校前~千綿宿~彼杵宿  24km 

大村宿・脇本陣~本経寺~千綿宿~彼杵宿

歩行軌跡(赤色線)と予定ルート(水色線)と道しるべマークPhoto

「omura3.jpg」大村本陣~首塚跡をダウンロード

「omura4.jpg」首塚跡~松原宿をダウンロード

「omura5.jpg」松原宿~JR千綿駅をダウンロード

「sonogi1.jpg」JR千綿駅~彼杵宿をダウンロード

Google Map で歩行軌跡を表示

より大きな地図で 2014-10-29  彼杵 を表示

7時 アーケード入口交差点の脇本陣跡碑からスタート

大村宿
大村宿

水主町口

水主町口

追分石「是より左そのぎ道」銘  「長崎街道」道しるべがないと見落とします。

是より左そのぎ道

ここから、寄り道して、大村家墓碑群のある本経寺へ向かう

道しるべ

8時 本経寺

本経寺
本経寺
本経寺

郡崩れ  胴塚跡   (桜馬場交差点付近)

キリシタンの弾圧でキリシタンの妖術で首と胴がつながって生きかえることを恐れたため、胴と首を約500mも離して埋めたといわれます。

胴塚跡

首塚跡

郡崩れの時の殉教者131人の首を埋めたと伝えられる所です。

首塚跡

㚖天宮神社

㚖天宮神社

胴塚跡の桜馬場から特別支援学校前この道しるべまでは、国道34号を歩く(約3.5km)

道しるべ

長崎惣兵衛の墓

長崎惣兵衛の墓

郡川の渡し

郡川の渡し
郡川の渡し

発電所バス停  再度、国道に戻る 発電所は撤去してありません。

発電所バス停

9時40分 よし橋を渡り、松原宿へ入っていきます。

松原宿
松原宿
松原宿

旧松屋旅館

松原宿

八幡神社

八幡神社
長崎街道

相撲取りの墓

相撲取りの墓
大村湾

鹿の嶋

大村湾

餅の浜踏切を渡り、国道を歩く

餅の浜踏切

10時30分  この「道しるべ」に助けられます。

道しるべ

この道、2002年の撮影資料では未舗装

才貴田付近

才貴田付近

才貴田付近
道しるべ

清水坂下の千部塔

清水坂下の千部塔

江串三郎入道塚

江串三郎入道塚
江串三郎入道塚

串島城跡へ

道しるべ

城跡は、茶畑に変身してました

茶畑

江の串バス停付近から、国道横断し平原地区へ

長崎街道

平原の一里塚跡碑

平原の一里塚跡碑

千綿中学校前にある 芝取石

芝取石

12時10分  JR大村線千綿駅で休憩

JR大村線千綿駅
JR大村線千綿駅

続きは、その2へ