井樋ノ尾岳(長崎市)

2024年1月23日

井樋ノ尾岳407m

2020/03/29 (日)晴れ

この1ヶ月あまり、コロナウイルスの感染が広がり

遠出の外出を自粛する中、休日は近場の低山歩きです。

先週は、松尾岳 そして今日は井樋ノ尾岳へ

予定は、井樋ノ尾観音~龍石社~井樋ノ尾岳~上座

~松尾岳でしたが、井樋ノ尾岳からコースを間違えて

平木場へ下山 (GPS携帯に登山ルート入力ミスから)

尾根沿いの急な下り坂でした。

旧長崎街道 桜満開の井樋ノ尾観音をスタート・ゴール

2020/03/29  ヤマレコUP

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9:30    井樋ノ尾観音をスタート

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井樋の尾集落
近年、新幹線工事の久山トンネルの影響で農業用水が枯渇し
一部で田植えを断念したそうです。
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旧長崎街道 御籠立場 右折して井樋ノ尾岳コース 今日はこのまま直進
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清水の祠
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旧峠の茶屋跡
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龍石社手前の林道/ここからも龍石社へ行ける
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街道沿いの龍石社石碑から井樋ノ尾岳を目指す
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直ぐに、荒れた間伐材がいきてを阻む
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直ぐに作業林道に合流がそのまま斜面を直進
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ほどなく、オットセイ岩(勝手に付けた名)
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オットセイの背中を見ながら、龍石社へ
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龍石社の広場からの眺望/諫早市街に遠くに多良山系
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石柱裏から、荒れた山道を井樋ノ尾岳へ
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ここが、長崎街道御駕籠立場コースからの合流地点
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11:30  井樋ノ尾岳 407m
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ここで、GPS設定ミスからコース間違えて
平木場へ下る

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途中で、間違いに気が付いたがそのまま
尾根沿いの急斜面を下りおりました
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平木場集落から見る井樋ノ尾岳方面
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この道、江戸時代には、象やらくだ等歩いた長崎街道/
また、長崎県自然歩道と同じ道
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両方の「道しるべ」が立っています
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15:00   桜満開の井樋ノ尾観音へ戻ってきた
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<井樋ノ尾観音開基350年祭記念碑からコピー>
 井樋之尾観世音は寛永14(1637)年島原の乱のおり切支丹宗徒等の一揆は神社仏閣の焼討ち打壊しを行った。
いち早く乱を察知した肥前国高来郡有馬村・諫巳寺の僧、永誉敬庵主は一揆が立て篭もった有馬氏の廃城・原城北三の丸に安置されてた聖観音像を

捧持し法類の喜々津村の正法寺を頼って艱難辛苦の旅を続けた。

その最中、豊かな清水の湧き出る井樋之尾御手洗の地に到り、ここぞ観音様を、お祭りするにふさわしい霊地であると正法寺の末庵を

建立したのが井樋之尾観音の創始である。

それ以来、地元部落の人のみならず近郷近在の人々の守護仏として篤い信仰と崇敬を集めてきた。

井樋之尾観音開基350年祭りを迎えるにあたり御堂改築、境内整備を行い、

ここに祈念の碑を建立する。